🎓 レベル:発展 | 重要度:A(必須)
📎 前提:期待効用と効用関数 | 関連:プロスペクト理論・確実性・リスク・不確実性(ナイトの不確実性)
要点(BLUF)
- Allaisのパラドックス:多くの人の選好が独立性公理を破ります。確実な選択肢が混じると過大評価される(確実性効果)。
- Ellsbergのパラドックス:人は確率が分からない「曖昧な」くじを、確率が分かるくじより嫌います(曖昧性回避)。これは確率そのものの存在を前提とする期待効用の枠組みを破ります。
- どちらも**系統的(ランダムでない)**な逸脱で、「人は時々間違う」では済みません。規範(期待効用)と記述(実際の選好)の溝が、プロスペクト理論を生みました。
1. Allaisのパラドックス:独立性公理の破れ
次の2問で、あなたの選好を考えてみてください(賞金は万円)。
- 問題1:A1=確実に100万 / B1=(10%で500万・89%で100万・1%で0)
- 問題2:A2=(11%で100万・89%で0) / B2=(10%で500万・90%で0)
多くの人は**問題1でA1(確実な100万)**を選び、問題2でB2(当たれば500万)を選びます。ところが期待効用理論では、この組み合わせは矛盾します。コードで確かめます。
import numpy as np
u = lambda w: np.sqrt(w) # 任意の凹効用でよい(矛盾は効用の形によらない)
A1 = u(100)
B1 = 0.10*u(500) + 0.89*u(100) + 0.01*u(0)
A2 = 0.11*u(100) + 0.89*u(0)
B2 = 0.10*u(500) + 0.90*u(0)
print(f"問題1: EU(A1)={A1:.4f} EU(B1)={B1:.4f}")
print(f"問題2: EU(A2)={A2:.4f} EU(B2)={B2:.4f}")
print(f"差分 EU(A1)-EU(B1) = {A1-B1:.4f}")
print(f"差分 EU(A2)-EU(B2) = {A2-B2:.4f}")
print("-> 2つの差分は必ず一致する。A1>B1 なら A2>B2 でなければ矛盾")
出力:
問題1: EU(A1)=10.0000 EU(B1)=11.1361
問題2: EU(A2)=1.1000 EU(B2)=2.2361
差分 EU(A1)-EU(B1) = -1.1361
差分 EU(A2)-EU(B2) = -1.1361
-> 2つの差分は必ず一致する。A1>B1 なら A2>B2 でなければ矛盾
出力の意味:注目すべきは、2つの差分が完全に一致(ともに −1.1361)すること。これは偶然ではありません。問題2は問題1の両方のくじから「89%で100万」という共通部分を取り除いただけだからです。独立性公理が言うのは「共通部分を足し引きしても順位は変わらない」。だから期待効用理論では が恒等的に成立し、A1を選ぶなら必ずA2を選ばねばなりません。実際の人がA1とB2を選ぶのは、独立性公理の直接の反例です。
2. なぜ破れるのか:確実性効果
カギは問題1の **A1が「確実」な点です。人は確実な100万を、わずかな上振れの可能性(B1の500万・10%)のために手放すリスク——「1%で0になる」——を過大に嫌います。これを確実性効果(certainty effect)**といいます。
問題2では、どちらのくじも確実ではない(A2も89%で0)。確実性のプレミアムが消えると、人は素直に期待値の大きいB2に流れます。確実性が1つだけ特別扱いされる——この非線形な確率の重みづけを正面からモデル化したのが、プロスペクト理論の確率加重関数です。期待効用の「確率がそのまま線形の重みになる」という性質(期待効用と効用関数の独立性)が、ここで破れます。
3. Ellsbergのパラドックス:曖昧性回避
もう一つの反例は、確率そのものへの態度に関わります。壺に赤・黒・黄のボールが90個。赤は30個と分かっていますが、黒と黄の内訳は不明(合わせて60個)。
- 賭けI:「赤」に賭ける(当たれば100万) vs 「黒」に賭ける
- 賭けII:「赤or黄」に賭ける vs 「黒or黄」に賭ける
多くの人は賭けIで赤(確率が分かる1/3)を、賭けIIで黒or黄(確率が分かる2/3)を選びます。ところがこれも矛盾です。賭けIで赤>黒なら「赤の方が黒より多い(と思っている)」はず。賭けIIは両方に黄を足しただけなので、同じ信念なら赤or黄>黒or黄となるはず——なのに逆を選ぶ。
人は「確率が分かる選択肢」を一貫して好みます。これが**曖昧性回避(ambiguity aversion)**で、確実性・リスク・不確実性のナイトの不確実性(リスク≠不確実性)が選好レベルで現れたものです。期待効用(およびサベッジの主観的期待効用)は「どんな不確実性にも主観確率を貼れる」と仮定しますが、人は曖昧さ自体を嫌い、単一の確率に還元できません。
数式の直観的意味:公理のどれが折れたか
2つの反例は、期待効用の異なる柱を折ります。
- Allais → 独立性公理:確率に対する評価の線形性が破れる。修正は「確率を非線形に重みづける」(プロスペクト理論の確率加重 )。
- Ellsberg → 確率の存在(とサベッジの Sure-Thing 原理):単一の主観確率分布で表せない。修正は「確率の集合」を考え最悪を取る(マキシミン期待効用など、ロバスト意思決定)。
期待効用は美しく整合的ですが、その美しさは強い公理(とくに独立性)に支えられています。公理のどこが現実と食い違うかを特定することが、規範から記述へ橋を架ける作業で、第8章ヒューリスティクスとバイアス・プロスペクト理論の主題です。
⚠️ よくある誤解
- 「人が計算ミスをしているだけ」ではない:選好の逸脱は系統的で、説明を聞いても多くの人は選好を変えません。ランダムなノイズではなく、別の評価ルールが働いています。
- 「だから期待効用は無価値」ではない:規範としての価値は健在です。「どう選ぶべきか」の基準として、また逸脱を測るベースラインとして機能します。記述と規範は役割が違います。
- 「AllaisとEllsbergは同じ現象」ではない:Allaisは確率が分かるリスク下での独立性違反、Ellsbergは確率が分からない曖昧性への態度。折れる公理が異なります。
- 「曖昧性回避は不合理」と断じない:情報が乏しいとき悪いシナリオに備えるのは、ロバスト性の観点では合理的とも言えます(経営の意思決定とシナリオ分析のシナリオ思考)。
対応シミュレーション
本文のコードは、効用関数 をどんな(増加・凹)関数に変えても Allais の2つの差分が一致する=独立性が恒等式であることを示します。効用を変えて試すと、矛盾が効用の形によらない構造的なものだと納得できます。
関連ノート
- 第2章 期待効用理論 目次
- 期待効用と効用関数 — 前提:独立性公理が線形性を生む
- 確実性・リスク・不確実性 — ナイトの不確実性と曖昧性
- プロスペクト理論 — 確率加重と損失回避で反例を吸収する記述理論
- ヒューリスティクスとバイアス — 系統的逸脱の一般論
- 意思決定分析・リスク分析 全体目次