🎓 レベル:発展 | 重要度:A(必須)
📎 前提:期待効用と効用関数・期待効用への反例(Allais・Ellsberg) | 関連:フレーミング効果・リスクの測り方(分散・下方リスク)
要点(BLUF)
- プロスペクト理論(Kahneman & Tversky)は、期待効用理論を記述的に修正します。3つの柱:参照点依存・損失回避・確率加重。
- 価値関数 :富の絶対水準でなく参照点からの変化を評価。利得側は凹、損失側は凸で、損失は利得より急(損失回避、)。
- 確率加重関数 :確率をそのままでなく非線形に加重。小さい確率を過大評価し、中〜大の確率を過小評価。期待効用の反例(期待効用への反例(Allais・Ellsberg))を統一的に説明します。
1. 期待効用の何を変えたか
期待効用(期待効用と効用関数)は ——確率はそのまま、効用は富の絶対水準の関数でした。プロスペクト理論はこれを2点で変えます。
- (富の水準)→ (参照点からの変化 )
- (そのまま)→ (加重された確率)
この2つの変更が、規範理論では説明できなかった現実の選択を記述します。
2. 価値関数:参照点・損失回避
価値関数 は3つの特徴を持ちます。Tversky–Kahneman (1992) の標準形は (利得)、(損失)、。
- 参照点依存:原点は現状(参照点)。プラスが利得、マイナスが損失。絶対的な富でなく変化を感じる。
- 感応度逓減:利得側は凹(リスク回避)、損失側は凸(リスク追求)。 の嬉しさ > の嬉しさ。
- 損失回避:損失側の傾きが利得側より急()。同額でも損失の痛みは利得の喜びの約2.25倍。
import numpy as np
alpha, beta, lam = 0.88, 0.88, 2.25
def value(x):
return x**alpha if x >= 0 else -lam*(-x)**beta
print(f"v(+100) = {value(100):.2f}")
print(f"v(-100) = {value(-100):.2f}")
print(f"損失/利得の感応度比 = |v(-100)/v(+100)| = {abs(value(-100)/value(100)):.2f}")
出力:
v(+100) = 57.54
v(-100) = -129.47
損失/利得の感応度比 = |v(-100)/v(+100)| = 2.25
出力の意味:同じ100でも、利得の価値は+57.5、損失の価値は−129.5。損失の痛みは利得の喜びの2.25倍です。これが損失回避。「1万円拾う嬉しさ」より「1万円落とす悔しさ」が大きいという普遍的な感覚を、 という1つの数字で表現しています。損失回避は、保有効果(持っているものを手放したくない)・現状維持バイアス・サンクコストへの固執など、多くの現象の根にあります。
3. 確率加重関数:小確率の過大評価
確率加重関数 は、客観確率 を意思決定上の重み に変換します。標準形 、。
import numpy as np
gamma = 0.61
def w(p):
return p**gamma / (p**gamma + (1-p)**gamma)**(1/gamma)
print("客観確率 p -> 決定加重 w(p):")
for p in [0.01, 0.05, 0.10, 0.50, 0.90, 0.99]:
rel = "過大評価" if w(p) > p else "過小評価"
print(f" p={p:.2f}: w(p)={w(p):.3f} ({rel})")
出力:
客観確率 p -> 決定加重 w(p):
p=0.01: w(p)=0.055 (過大評価)
p=0.05: w(p)=0.132 (過大評価)
p=0.10: w(p)=0.186 (過大評価)
p=0.50: w(p)=0.421 (過小評価)
p=0.90: w(p)=0.712 (過小評価)
p=0.99: w(p)=0.912 (過小評価)
出力の意味:確率1%は決定上5.5%の重みで効きます(5倍以上の過大評価)。一方、確率90%は71%の重みに縮む(過小評価)。小さい確率を過大、中〜大を過小に評価するのが確率加重の特徴です。これが「宝くじ(極小確率の大当たり)を買う」かつ「保険(極小確率の大損失に備える)に入る」という、期待効用では両立しにくい行動を同時に説明します。そして期待効用への反例(Allais・Ellsberg)のAllaisの確実性効果——確実()が特別扱いされる——も、 だが と、確実性の手前で重みが急落することから自然に出てきます。
4. 図で見る2つの関数
価値関数の屈折と、確率加重のS字を並べます。
import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt
import japanize_matplotlib
alpha, beta, lam = 0.88, 0.88, 2.25
value = lambda x: np.where(x >= 0, np.abs(x)**alpha, -lam*np.abs(x)**beta)
gamma = 0.61
w = lambda p: p**gamma / (p**gamma + (1-p)**gamma)**(1/gamma)
fig, ax = plt.subplots(1, 2, figsize=(11, 4.2))
x = np.linspace(-100, 100, 400)
ax[0].plot(x, value(x), lw=2, color="crimson")
ax[0].plot(x, x, "--", color="gray", alpha=0.6, label="参照(線形)")
ax[0].axhline(0, color="gray", lw=0.8); ax[0].axvline(0, color="gray", lw=0.8)
ax[0].set_title("価値関数:損失側が急(損失回避)")
ax[0].set_xlabel("参照点からの変化 x"); ax[0].set_ylabel("価値 v(x)")
ax[0].legend(); ax[0].grid(alpha=0.3)
p = np.linspace(0, 1, 200)
ax[1].plot(p, w(p), lw=2, color="navy", label="確率加重 w(p)")
ax[1].plot(p, p, "--", color="gray", alpha=0.6, label="客観確率 p")
ax[1].set_title("確率加重:小確率を過大・中〜大を過小")
ax[1].set_xlabel("客観確率 p"); ax[1].set_ylabel("決定加重 w(p)")
ax[1].legend(); ax[1].grid(alpha=0.3)
plt.tight_layout(); plt.show()
図の意味:左は価値関数。原点で折れ曲がり、損失側(左下)の傾きが利得側(右上)より急——損失回避が一目で分かります。右は確率加重。対角線(客観確率)より、小確率では上(過大)、大確率では下(過小) にあるS字。2つの非線形性が、期待効用の直線的な評価を曲げ、現実の選択に合わせています。
数式の直観的意味:規範からの「3つのねじれ」
プロスペクト理論は、期待効用 に3つのねじれを加えたものです。
- 原点のねじれ(参照点):。絶対水準から相対変化へ。同じ最終富でも、それが利得か損失かで評価が変わる——これがフレーミング効果の数理的な土台。
- 傾きのねじれ(損失回避):原点で傾きが不連続にジャンプ( 倍)。
- 確率のねじれ(加重): で線形性を破る。これは期待効用と効用関数の独立性公理を捨てることに対応し、Allaisの反例を吸収します。
重要なのは、プロスペクト理論が規範を否定するのでなく記述すること。「人はこうねじれて評価する」と言うだけで、「こう評価すべきだ」とは言いません。だから期待効用(規範)とプロスペクト理論(記述)は対立せず、役割が違う——規範はベンチマーク、記述は現実の予測。両方を持って初めて、人の選択を理解し(記述)、改善を設計できる(ナッジと選択アーキテクチャ)。
⚠️ よくある誤解
- 「プロスペクト理論は期待効用の上位互換」ではない:記述には優れますが、規範(どう選ぶべきか)の基準ではありません。整合性(推移性など)を必ずしも満たさない記述モデルです。
- 「参照点は固定」ではない:参照点は現状・期待・目標などで動き、操作もできます(フレーミング)。どこを参照点に取るかで利得・損失が入れ替わります。
- 「損失回避=リスク回避」ではない:損失回避は利得・損失の非対称な傾き。プロスペクト理論ではむしろ損失側でリスク追求(凸)になります。リスク態度は領域で変わります。
- 「確率加重=確率の誤認」ではない: は確率の主観的な「決定上の重み」で、確率の誤った推定(バイアス、ヒューリスティクスとバイアス)とは別の現象です。
対応シミュレーション
本文のコードで、(損失回避)や (確率加重の曲率)を変えると、価値関数の屈折や加重のS字が変わります。これらを使ってフレーミング効果の選好反転を数値で再現できます。
関連ノート
- 第8章 行動意思決定 目次
- 期待効用と効用関数 — 前提:修正される規範理論
- 期待効用への反例(Allais・Ellsberg) — プロスペクト理論が説明する反例
- フレーミング効果 — 次のトピック:参照点依存の帰結
- リスクの測り方(分散・下方リスク) — 損失回避と下方リスクの対応
- 意思決定分析・リスク分析 全体目次