🎓 レベル:基礎 | 重要度:A(必須)
📎 前提:リスク選好と効用の凹凸 | 関連:VaR(バリュー・アット・リスク)・金融工学(リスクの測り方)
要点(BLUF)
- 最も基本的なリスク測度は分散・標準偏差。期待値からのばらつきの大きさを測ります。
- ただし分散は上振れも下振れも同じペナルティで扱います。人が本当に嫌うのは下振れ(損失)だけ——ここで下方リスク(半分散・下方偏差・損失確率) が要ります。
- 分布が左右対称(正規分布など)なら分散で十分ですが、非対称になると下方リスクと分散は乖離します。何を「リスク」と呼ぶかで測度を選びます。
1. 分散・標準偏差:ばらつきの大きさ
リスクを「結果のばらつき」と捉える最も標準的な測度が分散 と、その平方根の標準偏差 です。標準偏差は元の単位(円など)に戻るので解釈しやすい。リスク選好と効用の凹凸で見たように、リスク回避者の期待効用は近似的に で、分散が大きいほど期待効用が下がる——分散がリスクの代理になる根拠です。
import numpy as np
rng = np.random.default_rng(42)
mu, sigma = 2.0, 10.0
profit = rng.normal(mu, sigma, size=200_000) # 損益(万円)
print(f"損益の平均 = {profit.mean():.3f} 万円")
print(f"損益の標準偏差 = {profit.std():.3f} 万円")
print(f"損益の分散 = {profit.var():.2f}")
出力:
損益の平均 = 1.992 万円
損益の標準偏差 = 10.028 万円
損益の分散 = 100.55
出力の意味:平均約2万の損益が、標準偏差約10万でばらついています。「典型的には平均±10万のブレ」が分散の伝える情報。ただしこの10万には、嬉しい上振れ(+12万)と痛い下振れ(−8万)が対等に含まれています。投資家が夜眠れなくなるのは下振れだけなのに——ここに分散の限界があります。
2. 下方リスク:損失側だけを測る
人がリスクとして嫌うのは目標を下回ることだけです。これを捉えるのが下方リスク(downside risk) で、目標 を下回る部分だけのばらつきを測ります。代表が下方偏差(target semideviation):
上振れ()は で寄与せず、下振れだけを2乗平均します。あわせて損失確率 も素朴で有用な下方リスクです。
import numpy as np
rng = np.random.default_rng(42)
profit = rng.normal(2.0, 10.0, size=200_000)
target = 0.0 # 目標:損益ゼロ
downside = np.minimum(profit - target, 0.0) # 下振れのみ(上振れは0に)
downside_dev = np.sqrt(np.mean(downside**2)) # 下方偏差
loss_prob = np.mean(profit < target) # 損失確率
print(f"標準偏差 = {profit.std():.3f} 万円(上下対称)")
print(f"下方偏差 = {downside_dev:.3f} 万円(下振れのみ)")
print(f"損失確率 P(損益<0) = {loss_prob:.3f}")
出力:
標準偏差 = 10.028 万円(上下対称)
下方偏差 = 6.008 万円(下振れのみ)
損失確率 P(損益<0) = 0.422
出力の意味:下方偏差6.0万は、標準偏差10.0万のおよそ 。正規分布のように左右対称なら、下方偏差は標準偏差の約 倍になります(下半分だけ見るので)。実際 に対し6.0と近い(平均が0より右にあるぶん下振れが小さい)。対称分布では下方偏差と分散は連動しますが、分布が歪む(左裾が厚い)と両者は大きく乖離し、分散だけでは下方リスクを過小評価します。
3. なぜ下方リスクが要るのか:非対称性
分散で十分なら、わざわざ下方リスクを考える必要はありません。問題は分布が非対称なときです。
- 多くの投資のリターンは左に歪む(小さな利益が頻繁、まれに大暴落)。分散は暴落の「痛さ」を、頻繁な小利益の「ばらつき」と混ぜてしまう。
- オプションや保険のペイオフは構造的に非対称。上限のある利益と、大きな下方リスク。
こうした非対称な分布では、「ばらつきの大きさ」(分散)と「損失の深さ」(下方リスク)が別物になります。次のVaR(バリュー・アット・リスク)の VaR やCVaR(期待ショートフォール)の CVaR は、まさに損失側の裾に焦点を当てた下方リスク測度です。「リスク=ばらつき」から「リスク=損失の可能性と大きさ」へ——測度の重心が移ります。
数式の直観的意味:何を二乗し、どこで切るか
分散も下方偏差も「偏差の二乗平均」ですが、どこを基準にどこを切るかが違います。分散は平均 を基準に全域を二乗、下方偏差は目標 を基準に下側だけを二乗。 という「クリップ」が、上振れを評価から外す仕掛けです。これはリスク選好と効用の凹凸の効用が損失領域でより急に下がる(プロスペクト理論の損失回避、プロスペクト理論)話と地続きで、「上と下を非対称に扱う」という人間の選好を、測度の側に持ち込んだもの。基準 を平均にすれば半分散、ゼロにすれば損失額ベース——目標の置き方で測度の意味が変わります。
⚠️ よくある誤解
- 「リスク=分散が唯一」ではない:分散は対称・滑らかな分布での1つの測度。非対称・裾の厚い分布では下方リスクやVaR/CVaRが適します。問題に応じて測度を選びます。
- 「標準偏差が小さい=安全」ではない:上振れが大きいだけで標準偏差が膨らむこともあります。安全性を問うなら下方リスクを見ます。
- 「下方偏差は標準偏差の半分」ではない:対称分布で約 倍になるのは平均を目標にした場合の目安。歪んだ分布や目標の取り方で関係は崩れます。
- 「損失確率だけ見れば十分」ではない:損失確率は「どれくらいの頻度で損するか」だけで、「損したときどれだけ深いか」を無視します。深さはVaR/CVaRが補います。
対応シミュレーション
本文のコードで、分布を左に歪ませる(対数正規や混合分布にする)と、標準偏差は大きく変わらないのに下方偏差・損失確率が増える——分散と下方リスクの乖離を観察できます。
関連ノート
- 第5章 リスク測度とリスク管理 目次
- リスク選好と効用の凹凸 — 前提:分散がリスクの代理になる根拠
- VaR(バリュー・アット・リスク) — 次のトピック:損失の分位点という下方リスク
- プロスペクト理論 — 上と下を非対称に扱う選好
- 意思決定分析・リスク分析 全体目次